4年に一度のスポーツの祭典が「TOKYO」に決まった日、私の心はすでに決まっていました。
そう、オリンピックボランティアで活動・サポートすることです。
決定当時は湾岸エリアに住み、働いていたこともあったので、この場でオリンピックが開催されるのか!とワクワクしていました。
そしてボランティア募集に申し込み、見事に当選!2019年5月にオリエンテーションを受け、2019年10月に共通研修を受け、役割が決まったのは2020年3月でした。しかし、その頃はコロナ禍でもあり、出場予定だった名古屋ウィメンズもエリートのみで開催・・・と、段々と深刻になって来ていた時期でもありました。
そして2020年7月延期が決定。正直延期と言いながらももう開催しないのでは?と思ってもいました。
それから約1年後、2021年菅総理大臣が「五輪開催」と渡英先で遂に正式コメントを発表、そこまでは本当にやるの?って思いながらも、2021年5月からユニフォーム、アクレディションカードの引き換えがスタートしました。
緊急事態宣言が解除されたタイミングで受け取りに六本木の会場に行くと、思ったより混雑もなく、スムーズに受け取りが完了。(この時点で辞退する人が続出だったこともあるかと)
会場内のボランティアさんが笑顔で元気だったこと今でも覚えています、そう、ボランティアみなさんの心は「TOKYO2020」無事に開催され、それをサポートする、同じ意思をもち、目標でもあるからです。
ボランティアユニフォームはスポンサーでもある「asics」のユニフォームで帽子〜シューズまで全部asics!これはasicsファンにはたまらないですよね。
ユニフォーム支給品:
帽子1点、シャツ3枚、ハーフパンツにもなるパンツ2枚、ソックス2セット、シューズ1点、ポーチ1点と全て「asics」2020ロゴ入り。パンツとソックスにシューズはもう1セット欲しいくらいです・・・
それ以外の支給物:ボランティアノート2冊、Kyasu(1日勤務毎にこのカードに1000円チャージされます)、エコボトル
*シューズについて、通気性がよく、ベアフットに近い屈曲もありつつ、クッションもある、さらにフィット感も抜群でした!海外メディアからシューズが欲しいと言われたこともありました
ユニフォームを受け取った後、コロナ禍の状況はよくなるどころか、都内の感染状況は悪くなる日々。
私も含めてですがボランティア活動をするにあたり、やはりワクチンを摂取していないと万が一感染した場合重症化のリスクも避けられないと思っていたら、6/30〜ボランティア用にワクチン接種ができるとの連絡がきました。しかし、同時に平塚市でも空きが出ていたのもあり、都内は緊急事態宣言中でもあったので、結局は平塚市役所でワクチンを接種することにしました。
でも結局2回目の接種が7/28ということもあって、当初7/23〜活動開始でしたが、7/30からの活動に変更してもらいました。(でも今考えたら1回接種していれば大丈夫だったかもですけど)
そして遂にTOKYO2020が開催!開催式にはもちろん参加はできず、自宅で観戦。
(同じポジションの人は参加したそうです、羨ましい・・・)
そして、遂に、私の憧れオリンピックの舞台へ!!
私のポジションはオリンピックスタジアムでの「プレスオペレーション」
LINE WorksをまずはDLし、そこですでに活動をスタートしている同じ役割のボランティア約6700人の様子を伺う日々。
また「TOKYO2020 E-learning」というボランティア活動ページにてオンライン研修を受ける日々・・・
動画で活動の内容を覚えるもので"トラック&フィールド競技について"の説明もありました(そこは流石に2倍速)
そんなことでコロナ禍で、事前対面研修にも一切参加できないまま、いきなりボランティア活動初日を迎えました。
すでに同じポジションで活動しているメンバーがさらにLINE Worksでグループ分けしてくれたので、色々と細かい情報も知ることができましたが、とにかく現場に行かないとちんぷんかんぷんな内容・・・
そして実は一番厄介だったのは青山一丁目駅から、秩父宮でのチェックイン〜国立競技場までの道のりでした。ラグビー競技場をぐるっと1周しながらの検温→検問→チェックイン→そこから神宮球場前を通り、国立競技場敷地内へ、ここまでで混雑していなければ約15分、検問やチェックインで混雑していると20〜30分かかりました。そこから控室に行く前に晩御飯もピックアップしてとなると、30分前に出発するとギリギリ、遅刻するくらいとにかく移動が大変でした。
初日はそれにゲリラ豪雨での移動でびちょぬれになりました(とほほ・・・)
新橋駅で着替え、ロッカーに荷物を預けてからはこのユニフォームで通っていたので、着替えもなく、初日は散々でした。
私たちの控室はメイン座席裏あたり、控室がありましたが、他のチームでは控室がないポジションもあり通路でミーティングをしたりしていたとのことでした。(実際に調べてません)
実はクーラーが大苦手な私は、空調がきいた控室に寒くて・・・いるのが苦痛でしたが、
初めの活動までここでスタンバイをしてくださいとの指示があり、1時間ほど待ちました。
そしてようやく移動スタート、簡単な仕事の説明が英語であり、そのあと配置先に案内されました。
私の初ポジションは一体どこなのだろう?と言われるがまま後をついていくと、フィールド内でした。
(活動内容は内緒です)
そう、いきなり女子5000m予選!! 日本人は廣中選手、萩谷選手、田中選手と出場。
きっちり仕事をしながらも日本人選手の活躍を心の中で応援、そしてしっかりと目に彼女たちの走りを焼き付けました。やっぱり好調な廣中&田中2人の走りはTVで観ていた人もワクワクしたのでは?
その合間も次々とフィールド内で予選が行われ、TVでしか観たことがなかった海外アスリートの凄さを体験できました。
そしてこの日は陸上競技で初金メダルが誕生する日、男子10000m決勝が最後の競技でした。
日本人は箱根駅伝を沸かせた2人、相澤選手、伊藤選手が出場。世界のアスリートとどこまで戦えるのか?という期待感も込めて心の中で応援。
雨上がりで湿度も高かったフィールド、序盤はスローなペース、2人の位置も変化する。でも正直ここは攻めの走りをして欲しかったなぁと。
2000mあたりから少しずつレースが動いてきた、でもこの日の勝者はレース運びがうまかった。
一度先頭集団にいながらも、時計をみてペースを落とす、きついのか?とも思いましたが、これが最後に戦うための戦略だったのかもしれません、7000mあたりからは伊藤選手もついていけなくなりました。
少しづつここからラストの駆け引き、ここで相澤選手も必死についていったんですが、ラスト1000m急にペースが上がる、そしてラスト1周、どこにそんな余力が?と思えるラストのペースアップ、まるで1500mのラストスパート並みな速度に見えて、「これが世界だ!」と痛感しました。
優勝し、初金メダルを手にしたのはなんと、セレモン・バレガ(エチオピア)やっぱりラストスパートにかけたペース配分が良かったのかもしれません。
銀メダルはバレンシアワールドレコードデイで10000m世界記録を更新したジョシュア・チェプテゲイ(ウガンダ)、
銅メダルは2020ハーフマラソンで優勝、17歳で世界クロカンジュニアの部でも優勝し、注目の20歳ジェーコブ・キプリモ(ウガンダ)というちょっとハイレベルな3人でした。
が、しかし、タイムは27分台、11人が27分代という結果で、日本人2人のベストタイムからいって入賞はできなくないタイムでした。ちょっと悔やまれますね。
そして初日の活動終了、会場のゴミを拾いながら控室に戻りました。
今回が初日、2回目の人も多く仕事内容などについての伝達もあって、22:30のシフトで終わったのは少し早めの22:15ごろでした。帰り道、この日が初日だった人と途中まで一緒に帰る、そしてその時に撮影したのがこの写真です!これはもう一生の宝物ですね。
とにかく、初日が無事に終わって良かったです!